2008年08月07日

野口に“異変”スイス合宿から緊急帰国

野口に“異変”スイス合宿から緊急帰国
 マラソン女王に“異変”が起きた。アテネ五輪金メダルの野口みずき(30=シスメックス)がスイス・サンモリッツでの合宿を切り上げて4日に極秘帰国していたことが6日、明らかになった。

関係者によると、当初は7日に帰国する予定だったが、高地で疲労が蓄積したため国内での平地練習に切り替えた。

北京へは予定通り13日に入るという。女子マラソン史上初の五輪連覇へ順調な調整を積んできたが、10日後に迫った本番への影響が懸念される。

 五輪開幕を直前に控え、野口の調整に狂いが生じた。当初は7日にスイスから関西空港へ到着するはずだった予定を早め、4日に極秘帰国した。

 関係者は「藤田監督の指示で早めることになった。(体調については)問題ないと聞いている」と説明。故障が理由ではなく、1800メートルの高地で疲労が蓄積して走りに影響が出たため、起伏の多いスイスから平たんな国内の練習コースで動きの最終チェックをすることにしたという。

 帰国後は時差の調整を兼ねて北海道で1週間程度の最終合宿を行う予定を立てていたが、それもキャンセルする見通しになった。今後は練習拠点を置いている関西近郊で調整することになる見込みで、北京へは13日に予定通り出発する。

 レース10日前に高地合宿を終えるのが今までの必勝パターンだった。わずか3日間の誤算ではあるが、レース当日はあと10日に迫っており、影響が懸念される。

 野口は06年8月に同じサンモリッツで左足首を痛め、同9月のベルリンマラソンを回避。昨年1月末にも中国・昆明合宿で左アキレス腱(けん)を痛め、同4月に予定していたロンドンマラソンを欠場した。それでも昨年11月の東京国際を大会新で圧勝して、2大会連続の五輪代表を決めた。

 今年3月には昆明合宿中に原因不明の発疹(ほっしん)が出て調整レースを回避するアクシデントに見舞われたが、5月に仙台ハーフで優勝して好調ぶりをアピール。同月下旬の長野・菅平合宿を皮切りに本格的なマラソン練習に入り、7月4日からはスイスで高地トレーニングを積んでいた。

 藤田監督が「不思議なほど(大きなレースを)外したことがない」と評するように、野口はここ一番での勝負強さが光る。マラソンは過去6戦5勝。唯一敗れた03年のパリ世界選手権でも銀メダルを獲得した。五輪連覇という前人未到の偉業がかかる舞台で、真骨頂を発揮できるのか。大きな試練を課された。
(8月7日 9時44分 更新)

野口 みずき(のぐち みずき、1978年7月3日 - )は、日本の女性マラソン選手である。三重県伊勢市出身(ただし出生地は神奈川県)。オリンピック・マラソン競技金メダリスト。女子マラソンの日本記録、アジア記録保持者。血液型はO型。身長150cm、体重40kg、左利き。小柄ながらも、強い筋力を生かしたストライド走法の走りが持ち味である。現在の所属はシスメックス株式会社。

中学1年から陸上を始めた。宇治山田商業高校時代には3,000mでインターハイに出場、駅伝でも活躍した。

1997年にワコールに入社したが翌1998年10月、会社と対立した藤田信之監督が、真木和ら少数の選手を連れて辞任すると、野口もこれに従った。一時は雇用保険の求職者給付を受けながら現役を続行した。

1999年2月、監督らとともにグローバリーに入社。この年の犬山ハーフマラソンに優勝したのをきっかけに、ハーフマラソンを中心に取り組むようになる。1999年10月の世界ハーフマラソン選手権では2位に入り銀メダルを獲得、2001年3月の全日本実業団ハーフマラソンで優勝するなどその活躍はめざましく、「ハーフの女王」として知られた。2008年5月の仙台国際ハーフマラソンでの優勝まで、ハーフマラソンでは31戦20勝である。

2001年6月、将来フルマラソンを走る為のスピード強化の一環として、日本選手権の女子10,000mにエントリー。自己記録を更新して3位に入り、同年8月に行われる世界選手権エドモントン大会の代表に選出。その世界陸上女子10,000mでは13位に終わったが、この成績から世界一を狙うならマラソンしかないとの確信を持ち、2002年のマラソン初挑戦へと繋がった
野口みずき - Wikipedia


posted by エリコ at 12:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | オリンピック
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