2008年09月02日

錦織86年ぶり8強はならず/全米OP

錦織86年ぶり8強はならず/全米OP9月2日10時29分配信 日刊スポーツ

テニス全米オープンテニス>◇1日(日本時間2日)◇男子シングルス4回戦ほか◇ニューヨーク、ナショナル・テニスセンター

 錦織圭(18=ソニー)の日本男子86年ぶりの8強進出はならなかった。4回戦で、世界17位のフアンマルティン・デルポトロ(19=アルゼンチン)に3−6、4−6、3−6で敗れた。

デルポトロの強いサービスの前に、試合の主導権を握ることはできなかった。

3回戦で世界126位の錦織が同4位のダビド・フェレール(26=スペイン)を破って日本男子71年ぶりの16強入りを果たし、海外のメディア、テニスファンからも注目されたが、8強の壁は厚かった。

最終更新:9月2日10時29分

★★★

錦織16強、世界4位倒した/全米OP9月1日10時9分配信 日刊スポーツ

テニス全米オープンテニス>◇8月30日(日本時間同31日)◇男子シングルス3回戦ほか◇ニューヨーク、ナショナル・テニスセンター

 世界126位の錦織圭(18=ソニー)が「世紀の大金星」を挙げた。3回戦で昨年の4強で同4位ダビド・フェレール(26=スペイン)を撃破。3時間32分に及ぶ死闘をフルセットで制した。

日本男子の全米16強入りは71年ぶり。4大大会でのトップ4シード撃破も佐藤次郎以来75年ぶり2人目の快挙だった。さらに全米では73年のボルグ以来の年少トップ4シード撃破。錦織は4回戦で同17位のデルポトロ(19=アルゼンチン)と対戦する。
 無我夢中で走り、全身全霊で打ち合った。212分の死闘。5セットを戦うのは、テニス人生で2度目だ。第3セットから初戦同様、両足をけいれんが襲った。ガッツポーズを連発して心を奮い立たせた。ウエアを汗まみれにして迎えた3度目のマッチポイント。
 「最後は手が震えた。どうしても勝ちたかった」。
 得意のフォアに、浮いた球が来た。思い切り逆クロスにたたき込んだ。世界4位のフェレールをねじ伏せた。コートに倒れ込み、天を仰いだ。
 「信じられない。これまでで最高の勝利」。日本男子として、71年ぶりの全米16強。その才能は日本のレベルを超えていた。3回戦に残った選手で最年少。しかも、あのボルグが17歳にして第3シードのアッシュを破った快挙に続く、18歳で全米トップ4シードを撃破した。
 最初の2セットは、豪快なフォアにサーブ&ボレーを織り交ぜ、変幻自在のショットでほんろうした。疲れがたまった終盤は「第5セットにかけるため、第4セットは半分捨てた」という。18歳らしからぬ冷静さも見せた。
 珍しく注意事項を書き込んだノートをコートに持ち込んだ。両親も見たことがないポール・スミス社製のノートを第5セット前にベンチで熟読した。「落ち着けとか書いてあるだけ。それ以上は言えません」。英文で書かれたアドバイスで、疲労とけいれんから立ち直った。「今までなら投げ出したかも。最後まであきらめなかった」。最終セット5−2から5オールに追いつかれたが、突き放す力強さで締めくくった。
 人としても一回り大きくなった。これまで家族が来ても、集中するため、行動は別だった。しかし、今大会は初めて同じホテルに泊まり、試合以外は行動を共にしている。父清志さんは「ほかのことに惑わされないという自信がついてきたのでしょう」と目を細めた。
 4回戦は今季4勝の19歳、デルポトロだ。将来を期待をされている新星の1人。13歳の時の対戦で負けているが、今回は「いけると思う」と頼もしい。世界99位の自己最高位の更新は濃厚だ。日本選手未到の4大大会シングルス決勝まであと3勝。錦織が未知の歴史を開く時が、もう迫っている。

最終更新:9月1日10時9分

★★★

全米オープン(U.S.Open Championships) は、アメリカ・ニューヨーク市郊外のフラッシング・メドウで毎年8月の最終月曜日から2週間の日程で行われる世界の4大メジャーテニス選手権の一つ。観客動員数、賞金総額等において世界最大のテニストーナメントである。会場はUSTAナショナルテニスセンター。主催は全米テニス協会
全米オープン (テニス) - Wikipedia

錦織圭にしこりけい, 1989年12月29日 - )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。IMGボロテリー・アカデミー所属。開星中学校(卒業) → 開星高等学校(中退) → 青森山田高校通信課程東京校(編入)2年生に在籍している。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。母方筋の親戚には俳優の渡哲也・渡瀬恒彦がいる

5歳からテニスを始め、2001年に「全国小学生テニス選手権」で優勝。

2003年に渡米し、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに日本テニス協会会長・盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド」の奨学金で留学する。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。

2003年の「オレンジボウル選手権」(ジュニアテニスの世界選手権)14歳以下の部で準優勝。

2006年全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、錦織はエミリアーノ・マッサ(アルゼンチン)とペアを組み、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。この大会ではシングルスでも8強に入っている。

2007年
7月にインディアナポリスで行われた「RCA選手権」で、日本人男子最年少のATPツアー8強に入り、世界ランキング27位のドミトリー・ツルスノフ(ロシア)と対戦した。全米オープンは予選2回戦で敗退。10月、AIGジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス1回戦で敗退した。

2008年
2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際選手権」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で第1シードのジェームズ・ブレーク(アメリカ、最高ランキング4位)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。

4月11日-13日にデビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めてデビスカップ日本代表選手に起用された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡修造以来の世界ランキング100位以内に入った。

全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位だったラファエル・ナダルと対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう」とコメントしている)。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。フランスのマルク・ジケルとの1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった。

6月末には、かねてから日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡修造以来12年ぶりとなる。[2]オリンピックでは、錦織は1回戦でライナー・シュットラー(ドイツ)に 4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。

全米オープンでは世界ランク32位 第29シードのフアン・モナコを途中インジャリータイムをとりながらも6-2・6-2・5-7・6-2 で破り、2005年の鈴木貴男以来の日本人4大タイトル一回戦突破となった。続く2回戦はクロアチアのロコ・カラヌシッチを相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では世界ランク4位・スペインのダビド・フェレールを相手に6-4・6-4で2セット先取、その後2セット奪われるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた。日本人では1937年の山岸二郎・中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった
錦織圭 - Wikipedia


posted by エリコ at 11:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | テニス・錦織圭
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