2009年06月29日

斎藤社長引責減俸!俊輔獲り失敗の理由は明かさず…横浜M

斎藤社長引責減俸!俊輔獲り失敗の理由は明かさず…横浜M6月28日8時0分配信 スポーツ報知

 横浜Mの斎藤正治社長(59)が日本代表MF中村俊輔(31)の獲得失敗の責任を取り、自身の役員報酬を7か月50%減俸することが27日、分かった。交渉決裂の経緯についてこの日、クラブ職員に対して2度目の説明会を実施。斎藤社長は「すべて代表である私の責任であると、みなさんにお伝えした」とし、全責任を負って減俸処分を受ける考えを示した。

 23日の説明会では明確な原因が明らかにされず、紛糾。この日も最終交渉で俊輔サイドとの信頼関係が崩れた理由に関して詳細な説明はされなかったが、「年俸については合意に至っていた。その他の条項の部分」(斎藤社長)と前回よりも踏み込んだことで一定の理解を得た模様だ。

 クラブ内では前代未聞の失態に斎藤社長の進退を問う声も上がっていたが、失墜したクラブイメージや信頼の回復が最重要課題となり、クラブトップの減俸処分だけで一応の決着を見ることになった。一方でチーム強化に不慣れな斎藤社長、狩野真一取締役らが交渉をこじらせたことを問題視する見方も強く、今後は各部門の担当者に権限を委譲する動きが加速していく見通しだ。

俊輔、エスパニョール決定「一片の悔いもない」

エスパニョール入りが決まった中村俊輔 

日本代表MF中村俊輔(30)が、スペイン1部10位のエスパニョールに移籍することが正式決定した。22日、横浜Mに断りを入れ、仮契約を済んでいた新天地とサインという運びになった。10年W杯南アフリカ大会までの進化に世界最強リーグを選んだ俊輔が勇躍、念願の夢舞台に突き進む。一方、横浜Mの斎藤正治社長らクラブ役員は交渉決裂の責任を問われ、進退問題に発展する可能性が出てきた。

 ついに「エスパニョール俊輔」が誕生した。

 「スペインに行くよ。どんな選択になろうとも、自分の人生には一片の悔いもない。これまでも日々試行錯誤してきた。それはどこに行っても変わらない。人生修行だから」

 10年来の夢だったリーガ・エスパニョーラ移籍をかなえ、不退転の決意を語った。

 この日、国内で静養中の司令塔に代わり、代理人のロベルト佃氏が横浜Mの松本喜美男チーム統括本部長と直接会談を持った。

 「横浜Mにはオファーを出していただいてありがたい。スペインとプレミアは世界最高峰。W杯までレベルアップするために本人の夢だったスペインでチャレンジすることに決めました」。こう語った佃氏は、一時は正式契約寸前だった横浜M側に断りを入れると、すでに仮契約を結んでいたエスパニョール側に状況を説明。俊輔のサイン後、契約書は23日にも新天地に届く。セルティックとの4年契約は満了となるため移籍金はゼロ。2年契約で年俸は推定税抜き2億円となる。

 「最近はバルセロナの試合しか見ていないぐらい」。昨季終盤に語っていた俊輔は、高度な技術をベースに緻密(ちみつ)な連動性を追求する欧州王者とリーガ・エスパニョーラの研究を日夜続けていた。

 スペイン勢とは、欧州CLでは07〜08年に決勝トーナメントでバルセロナと、昨季は1次リーグでビジャレアルとそれぞれ2試合激突。Rマドリードがブラジル代表カカとポルトガル代表C・ロナウドを獲得するなど、世界最高のタレントが集まる厳しい環境だと知っている。「欧州CLでバルサとビジャと戦ったけど、サッカーそのものが選手全員の体に染み込んでいると感じた。まるでドイツW杯で対戦したブラジル代表のよう。国やリーグによってサッカーが違う。まずはそこに順応し、その中で自分の色を出していきたい」と語った日本最高のエースは、来月10日にも新天地に出発する。世界を、そして、スペインを驚かせる覚悟を胸に秘めて。

 ◆エスパニョール 1900年創設。ホームタウンはカタルーニャ州バルセロナ市。スペイン国王杯優勝4回、2006年UEFA杯準優勝。01年1〜6月には元日本代表FW西沢明訓(現C大阪)も在籍した。08〜09シーズンは10位。本拠地はエスタディオ・オリンピコ・デ・モンジュイック(5万6000人収容)だが、現在、バルセロナ郊外に新スタジアムを建設中。監督は元アルゼンチン代表のマウリシオ・ポチェッティーノ氏。



posted by エリコ at 03:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 中村俊輔
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