2010年02月25日

キム・ヨナに賭けた人生「24時間」密着ママの献身

キム・ヨナに賭けた人生「24時間」密着ママの献身(AERA 2010年3月1日号掲載) 2010年2月25日(木)配信

金メダルをかけていよいよ始まる宿命の対決。
韓国の「女王」を支えたのは、彼女に人生を賭けた母、そして控えめな父だった。

「キュートな洋服のせいもあり普通の女の子の印象でしたが、スケートの話では内に秘めた強さのようなものを感じました」(対談番組で昨年ソウルで会ったタレント阿部美穂子さん)

 日韓だけでなく欧米メディアも今冬季五輪主役の一人と注目するキム・ヨナ(19)。選手村に入らずホテル滞在で調整に励む「フィギュアの女王」に、影のように付き添う女性がいる。

 母親のパク・ミヒさん。彼女の存在なしで、五輪で10位内の選手が過去一人もいない「フィギュア不毛の地」韓国に、ヨナが現れることはなかった。

あだ名は「鉄血お母さん」
 ソウル近郊の小都市に住む一家はミヒさんと、同じ1958年生まれでメッキ関係の事業を営む夫、長女、そして3歳下の次女ヨナの4人家族。

 きっかけは、ひょんなことだった。1996年、ミヒさんは幼稚園に通う5歳のヨナを近くの市民スケート講座に入れた。彼女自身が独身のころ趣味でフィギュアをしたからだ。7カ月の講座が終わる頃、コーチから相談があった。

「ぜひ選手として育てたい。フィギュアはお金がかかる競技です。娘さんを支援できますか」

 この一言が母子の人生を変えた。ミヒさんは長女のスケート講座をやめさせ、ヨナのピアノと美術の塾もやめさせた。家計の大半をヨナのフィギュアに投じるためだ。引っ込み思案の主婦だった彼女は「フィギュア・ママ」になったのだ。

 子供をフィギュアのコーチに預け支援を惜しまない「フィギュア・ママ」。だが彼女が他の母親と違うのは自分の時間をすべてヨナに捧げたことだった。

 小学生のヨナに、まず午前9時前のランニングとストレッチ。車でリンクに連れて行き午前、午後と練習。そして午後10時から別のリンクで練習させ、終わるのは午前1時。リンクにヨナがいる間は片時もその場を離れない。独学で専門家はだしの知識を身につけ厳しい指摘をヨナに飛ばす。付いたあだ名が「鉄血お母さん」である。

 食事、掃除、洗濯、長女の面倒は夫の役目だ。練習漬けのヨナにはまともに中学、高校に通う時間もなかった

父の事業悪化で試練も
「韓国の学校には趣味としての部活動は存在しないといえる。運動をやる選手はひたすら運動。しかも親が子供のため自分の人生を賭けるところがある。子供が母親と海外に英語留学し父親は韓国で働きラーメンをすする。そんな例が山ほどある」(韓国スポーツ界に詳しいジャーナリスト大島裕史氏)

 試練もあった。97年末のIMF金融危機の影響で父親の事業が徐々に悪化、年数百万円の費用捻出に困るようになったのだ。不人気競技ではスポンサーもつかない。故障もあり、引退も仕方ないと一時は思い定めた。

 ところが2006年3月の世界ジュニア選手権でヨナが優勝し人気爆発。大手企業のCMに引っ張りだこのスーパースターに成長した。練習費に困ることもなくなり、07年からは年10カ月をカナダで過ごし有名コーチの専属指導を受ける。母親のミヒさんが付きっきりで鍛える日々は終わった。だが母はいまもヨナと一緒だ。

 メディアに出たがらず、試合会場にめったに来ない父親も今度のバンクーバーには行く。

 父親はこう言っている。

「経済的に苦しくなるたび支援者が現れ感謝している。でも家族の犠牲があまりに大きかった。いまは家族全員で平凡に暮らすのが小さな願いだ」

 韓国では帽子を目深にかぶりマスクで顔を隠さないと街を自由に歩けないヨナ。人見知りが激しく、BoAの歌をカラオケで歌うのが好きだった少女は時代の寵児になった。

編集部 小北清人

<バンクーバー五輪>真央、ヨナの舞 フィギュア女子SP視聴率最高32.6%、占拠率47.9%


タグ:キム・ヨナ
posted by エリコ at 13:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | オリンピック
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