2010年06月14日

本田に賭ける!!カメルーン戦1トップ出陣!!

本田に賭ける!!カメルーン戦1トップ出陣!!6月14日8時0分配信 スポーツ報知

 本田、頼んだぞ! 

14日にカメルーンに挑む日本代表が、MF本田圭佑(24)=CSKAモスクワ=を1トップに据える布陣で臨むことが13日、確実になった。12日の非公開練習では、岡田武史監督(53)から1トップとしての動き方について直接指導を受けたことが判明。試合直前の強化試合で一度も機能せず突貫工事の感は否めないが、13日の練習後は「楽しみ」と話した日本のエース。期待を一身に受け、W杯初陣に臨む。

 不安はみじんも感じさせなかった。MF本田はカメルーン戦に備え、いつものように背筋をピンと張って、FK練習に取り組んだ。「明日が楽しみ。いよいよ始まるって感じがする。状態も今のところ良い」。公式戦初の1トップでの先発。W杯初出場。不安を感じてもおかしくない状況で、いつものように自信満々に無回転FKを9本蹴り続けた。

 期待を背負う。12日の非公開練習。代表スタッフによれば、岡田監督からマンツーマンで指導を受けたという。主にポストプレーについて、だ。相手DFからいかに離れて、いかにボールを受けられるか。そして、いかにキープして後方からの上がりを待てるか。普段、個人に対して、ほとんど技術的な指導を行わない岡田監督から身ぶり手ぶりを交え、1トップのコツを伝授された。

 10日のジンバブエ代表との練習試合(30分×3本)では、1本目に1トップで出場したものの、シュート0本に終わった。所属クラブでも2列目で起用され1トップの経験がないため、大きなDFを背中に背負って、競り合いやボールキープに苦戦する姿が少なからず見られた。チームも無得点に終わり、1トップは機能不全。だが、指揮官から直接指導を受けた本田は、自信だけは確実に深まった。

 「オレはオレ。オレの良さを出さなければ、オレが1トップに入っている意味がない。DFとボランチの間でボールを受けて、サポートを待つ。前を向ければ、シュートを打つ」。試合3日前からは「あまりしゃべらない方が良い結果が出る」とし、この日も取材エリアでは足を止めず、バスへと向かいながら軽い談笑にとどまった。

 試合前日の13日は、24回目の誕生日。「まさか、アフリカで迎えることになるとは思ってもみなかった。知り合いからメールが来ました」と笑みを浮かべ、「今はリラックスできていますね」と言って、また笑った。

 紆余(うよ)曲折はあったものの待ちに待ったカメルーン戦。本田がゴールへの期待を背負い、日本の1トップに立つ。

ワールドカップ

1. 2010 FIFAワールドカップ - Wikipedia

2. 2010FIFAワールドカップ - Yahoo!ニュース
3. W杯 2010南アフリカ大会特集
4. ワールドカップのデータベース【WorldCup's world
5. asahi.com(朝日新聞社):サッカーワールドカップ 2010南アフリカ大会

サッカー

1. スポーツナビ | サッカー

2. Yahoo!スポーツ - サッカー
3. スポニチ Sponichi Annex サッカー
4. 日本サッカー協会ホームページ
5. サッカー : nikkansports.com
本田圭佑(ほんだ けいすけ、1986年6月13日 - )は、大阪府出身のプロサッカー選手。ロシアリーグ・CSKAモスクワ所属。ポジションは主にミッドフィールダー(OH、SH、ST)。

小学校2年時から地元の摂津FCに入団しサッカーを始めた。中学生時代にはガンバ大阪ジュニアユースに所属し家長昭博、安田理大らと共にプレーしたが[1]、ユースチームへの昇格の内定が出なかったため、石川県の星稜高校へと進学した[2]。1年時に全日本ユース選手権で準優勝し、3年時の第83回全国高等学校サッカー選手権大会では石川県勢としては初のベスト4入りの原動力となった[2]。2004年には特別指定選手として名古屋グランパスエイトの練習に参加し、ナビスコカップなどの公式戦にも起用され数試合出場を果たした。同時期に横浜F・マリノスの練習にも参加したが、獲得は見送られた[3]。

高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受けたが[2]、2005年シーズンから名古屋とプロ契約を結んだ。開幕戦から先発出場しアシストを決め、翌年にはレギュラーに定着した。2005年のFIFAワールドユース オランダ大会に日本代表として参加。初戦オランダ戦に守備的な中盤として先発したが[4]、試合は前半にオランダが圧倒、後半は日本もペースをつかむ時間帯を得たが本田は途中交代となった(後半19分、水野晃樹。結果は1-2で敗戦)。この後チームは16強に進出するものの、守備的な中盤梶山陽平の復調もあり出場機会はなし。2006年にはA代表にも飛び級で初招集されたが出場はなかった。2007年北京五輪アジア予選では主力として五輪出場権獲得に貢献した。

2008年1月にさらに高いレベルでのプレーを求めてエールディビジ(オランダ1部リーグ)のVVVフェンロへ移籍した。入団会見ではオランダ語で挨拶を行い、その日のうちに昨シーズンまで名古屋の監督を務めていたセフ・フェルホーセンが率いるPSVアイントホーフェン戦に出場している。残りのシーズンはレギュラーとしてプレーしたものの、5月にクラブのエールステ・ディヴィジ(オランダ2部リーグ)への降格が決定した。2008年6月に開催されたワールドカップ・アジア地区3次予選のバーレーン戦でA代表初出場を果たした。8月に行われた北京オリンピック本大会では中盤の主力として一次リーグ3試合すべてに出場、谷口博之や梶山陽平らと共に攻撃を牽引したが、チームは3連敗で決勝トーナメント進出を逃し、自身もオランダ戦で決勝点となるPKを与えてしまうなど不本意な大会となった。同年7月には元保育園勤務の一般人と入籍していたことを発表した。

2008年-2009年シーズンは2部に降格したVVVに残留した。チームでは攻撃の軸として活躍し、開幕から首位を独走するチームの原動力となった。シーズン途中からはフリーキッカーとキャプテンを任されている。4月24日の対ハーレム戦に勝利し、2部優勝と1部復帰が決定した。リーグ戦計36試合に出場した中で16ゴール13アシストをあげた活躍が評価され、2部リーグにおける年間最優秀選手賞(MVP)を受賞した[5]。シーズン終了後にはPSV、アヤックスなどオランダ強豪チームに加え、チェルシー、リヴァプール、リヨン、フィオレンティーナといった世界的ビッグクラブへの移籍が検討されたが[6]、クラブが1000万ユーロ(約13億円)と高額の移籍金を設定したため交渉はまとまらず残留が決定した。

2009年-2010年シーズンもVVVで開幕を迎えることとなり、チームの中心として活躍した。2009年5月27日のキリンカップの対チリ戦では、A代表初ゴールを記録。冬の移籍市場において移籍金900万ユーロ(約12億円)[7][8][9]、4年契約でロシアリーグの強豪PFC CSKAモスクワへの移籍が決まった。同年2月24日、UEFAチャンピオンズリーグ決勝トーナメント1回戦1stレグのセビージャ戦でCSKAでの初出場を記録。同時にチャンピオンズリーグにも初出場となった。3月12日のリーグ開幕戦であるアムカル戦では、試合終了間際の後半ロスタイムに決勝点となるゴールを決め、チームのシーズン初勝利に貢献。CL決勝トーナメント1回戦の2ndレグでは、前半39分にCL初のアシストと後半10分にゴール約30mの位置から直接FKを決め、CL初得点をマーク。これが決勝点となり、2戦合計3-2でクラブ史上初、ロシアリーグ所属チーム史上初となるCLベスト8へ導いた。そして、アウェーのセビージャ戦ではマンオブザマッチに選ばれ、さらに1stレグ2ndレグ共に欧州の複数のスポーツ紙にてCL週間ベストイレブンに選ばれている。[10][11]

評価・プレースタイル [編集]

日本人としては屈強なフィジカルを持ち(「基本的に小さいころからサッカーは倒れたら負けというつもりでやってきた。」[12]とも語っている)、外国人選手との一対一でも当たり負けすることは少ない。キック力に優れ、スルーパス、ロングパス、シュートの能力、なによりフリーキックの精度が高く、無回転とカーブする球を蹴り分けることができる。また全ての中盤のポジションと、サイドバック[13]も務めユーティリティ性に優れている。

日本代表では守備時の運動量の少なさを指摘されるものの、攻撃時にはゴール前へ飛び出すことが多い。これはプレーの効率性を上げるためメリハリを重要視しているためだという[14]。 VVVフェンローでは、本田を攻撃の中心としたフォーメーションが採用されていた。

VVVフェンローに移籍後はセンターハーフも務め、同僚のサンドロ・カラブロから「お前がゴールを決めているのはユーチューブ(You Tube)の中だけ」とシュート意識の低さに関して批判をうけた[15]後は「おれはゴール前だったら絶対パスは出さない。悪いけど、カラブロがフリーであろうがなんだろうが、前が空いていたらシュートを打つ。そういうところは少しずつ意識改革ができている。おれもあいつらに“欲”という意味では負けているつもりはないし、もっとわがままにやってもいいのかなと思っている」[16] と自らゴールを狙っていく姿勢を強めたことを語っている。このような経緯もあり、近年はMFとしては非常にゴールが多い選手として知られているが、アシストも多く記録し、更に本田のシュートのこぼれ球を味方が押し込みゴールを奪うというケースも多々あり、VVV時代はチームの得点の大半が本田を起点とするものであった。

また、サポーターからの信頼も厚く、2009-10シーズン第2節のADO戦では、序盤0-2と劣勢に立たされながら本田の2ゴールで同点とした試合で、退場処分を受けながらなかなかピッチから出ようとしない相手選手に対し、本田が駆け寄り退場するように促した際、相手選手が激昂し本田の胸を突き、これをきっかけとし両軍入り乱れの乱闘となった。この時、サポーターからHONDA!HONDA!と大合唱が起きた。

左利きの選手は左サイドのポジションに位置するのが一般的であるが中に切り込んで左足でシュート打たせることを目的として、右寄りのポジションに位置させられることが多い。 これは日本代表における中村俊輔と同じ位置であるためしばしば本田と中村が比較されることがある。また本人も中村から定位置を奪うという旨の発言をしていたが、[17] 右サイドハーフのポジションには中村が、そして本田はトップ下に入るという形で同時出場することもある。また、「自分には運がある」とも述べている。

人物・エピソード [編集]
利き足と生年月日が一緒である家長昭博とはジュニアユースの同期生であり、親友として互いに尊重しあう間柄[18]である。
実兄で現在は俳優の本田弘幸も元サッカー選手で、2005年には大分トリニータ入団が決まっていたが怪我の為に現役生活を終えた。東京オリンピックにカヌー競技のカナディアンペアで出場した本田大三郎は大叔父であり、その息子でレスリングのフリースタイルで3大会連続のオリンピック出場経験を持つプロレスラーの本田多聞は従兄弟違いになる[2]。
2008年7月に元保育園勤務の保育士の女性と結婚した[19]。オランダ時代には夫妻の他に日本から連れてきた柴犬のテツと共に生活していた。
勝気な性格であり、その発言は時にビッグマウスともとられてしまう。北京五輪の予選リーグで敗退が決まった後の消化試合では数名の選手と共に反町監督の指示に造反していた事を明かし、メディアで物議をかもした[20]。しかし、そのような背景にはサッカーに対する非常に高い向上心があり、これまでのインタビューでも、ガンバ大阪ユースに昇格出来なかった時の悔しさや、学生時代から常に世界で活躍するプロサッカー選手を見据えていたことなどを度々語っている。また後にこの造反劇に関しては本人が雑誌「Number」で事実ではないことを語っている。
我を押し通すことを信条とする一方、自己分析を行い批判を素直に受け入れるなど柔軟な一面も見せることがある。VVVフェンローにおいてはキャプテンとして抜群の存在感を発揮し、チームメイトからも一目おかれる存在であった。また海外でステップアップを重ねるためにはもっと自己主張をしなくては上り詰めることはできないと自分では自覚している、まだまだ自己主張は足りていないと語る。
プライベートでは、いつも両腕に腕時計をつけている。理由は「Classicを追い求めているため」というよくわからないもの[21]。なお別の番組では理由を「ボディバランスを保つため」と語っていたが[22]、これは本人によれば「ボケたつもりがツッコミを入れられず流されてしまった」ものだという[21]。
サッカーだけでなく語学を学び、チームメイトと直接会話することを重視しており、オランダ時代は英語、現在のCSKAモスクワではロシア語を学んでいる。また海外のメディアに対しては通訳をつけず英語でインタビューに答えている。
キャプテン翼の影響を受けたプロサッカー選手の一人でもあり、ムック本での取材で一番好きなキャラは日向小次郎であり、幼いころに彼のプレースタイルに影響を受けていたとも語っている。作中に登場する「ボールはともだち」という言葉に影響を受け、練習で使った汚れたボールと寝たら、案の定、叱られたため、禁止になった。また、立花兄弟の空中技を真似しようとし、ゴールポストの上によじ登ったこともある。
長谷部誠とは普段から電話連絡を取り合う仲で、長谷部は本田のチャレンジし続ける姿に刺激を受けているとコメントしている[23]。
インテルとCLで対戦した際イタリアのマスコミに、苗字がホンダであることをもじって中古のベスパと酷評された。[24]
将来の夢はレアル・マドリードでプレイすること。
所属クラブ [編集]
ユース経歴
1994年 - 1998年 摂津フットボールクラブ
1999年 - 2001年 ガンバ大阪ジュニアユース
2002年 - 2004年 星稜高校
2004年 名古屋グランパスエイト(特別指定選手として登録)
プロ経歴
2005年 - 2007年 名古屋グランパスエイト
2008年1月 - 2009年 VVVフェンロー
2010年1月 - PFC CSKAモスクワ

本田圭佑 - Wikipedia

1. 本田圭佑オフィシャルWEBサイト
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2. 本田圭佑 - Wikipedia
3. 本田圭佑 - Yahoo!ニュース
4. YouTube - 本田圭佑(Keisuke Honda)プレー集
5. サッカー日本代表 本田圭佑 - goo スポーツ


posted by エリコ at 10:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | サッカー・岡田ジャパン
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