2008年07月19日

野茂引退、先駆者に感謝の声続々=ラソーダ氏「殿堂入りを願う」−米大リーグ

野茂引退、先駆者に感謝の声続々=ラソーダ氏「殿堂入りを願う」−米大リーグ

2008年7月18日(金)12時32分配信 時事通信


 【ニューヨーク17日時事】米大リーグ挑戦の先駆者だった野茂英雄投手(39)の現役引退表明を受けて17日、日本人大リーガーや関係者から感謝の声が相次いだ。
 野茂の1000日ぶりのメジャー登板となった4月10日のロイヤルズ戦で対戦したヤンキースの松井秀喜外野手は「今日、大リーグで日本人選手が活躍できているのは、野茂さんの大きな力によるものだと思う」と球団広報を通じてコメント。「違った形でのこれからのご活躍をお祈りします」と結んだ。
 カブスの福留孝介外野手は15日のオールスター戦で先発出場。1995年に野茂がドジャースで初出場を果たしてから日本選手8人目となった。福留は「自分が今こうしてプレーしているのは、野茂さんの影響があるから」と話した。
 野茂がドジャース入団時に監督だったトミー・ラソーダ氏は「彼の投球はセンセーショナルだった。大勢の人々を球場に呼び込んだよ。特にロサンゼルスでは」と述懐した。同氏はさらに「マウンド上でいつも精魂込めて投げてくれた。将来の大リーグ殿堂入りを願っている」と語った。


偉大な先駆者、現役に幕=ユニホーム脱ぐ野茂−野球

野茂英雄、引退を決意…現役続行を希望するも獲得球団なく
<野球>野茂英雄が現役引退 HPで表明 日米で201勝

偉大な先駆者、現役に幕=ユニホーム脱ぐ「トルネード」−野球 2008年7月18日(金)1時22分配信 時事通信


 日本と米国球界で通算201勝を挙げた野茂英雄投手(39)が現役引退を決意した。

3年ぶりのメジャー復帰を果たした今季、4月にロイヤルズを戦力外となり、再復帰は果たせなかった。今年は3試合に投げて防御率18.69。かつて150キロ台を誇っていた球速は130キロ台まで落ち、力の衰えは明らかだった。

 体を大きくひねる「トルネード投法」で知られた野茂は17日昼ごろ、自身が設立した社会人チーム「NOMOベースボールクラブ」の清水信英監督に米国から電話を入れ、「引退することになりました」と伝えた。
 近鉄で大活躍した後、1995年にドジャース入り。その年のオールスター戦でナ・リーグの先発投手を務めるなど力を発揮し、史上4人目となったア、ナ両リーグでのノーヒットノーランも達成した。こうした野茂の活躍が、その後に続いた佐々木(元マリナーズ)、イチロー(マリナーズ)、松井秀(ヤンキース)らに道を開いた。偉大な先駆者が、静かにユニホームを脱ぐ。 




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2008年07月18日

野茂英雄、引退を決意…現役続行を希望するも獲得球団なく

野茂英雄、引退を決意…現役続行を希望するも獲得球団なく 2008年7月17日(木)20時17分配信 読売新聞

 【ロサンゼルス=臼田雄一】日本人大リーガーの先駆者的存在で、日米通算で201勝をあげた野茂英雄投手(39)が現役引退を決意したことが17日、分かった。

 今年4月にロイヤルズから戦力外通告を受け、その後、現役続行を希望したが、獲得へ動く球団がなく、引退を決めた。

 野茂投手は、大阪出身で1990年に近鉄入り。5年間で78勝をあげた。95年にドジャースへ移籍し、この年に新人王。特有の投球フォームは、「トルネード投法」と呼ばれ、全米にブームを巻き起こした。その後、メッツ、タイガースなどを渡り歩いた。今季開幕はマイナーで迎え、4月5日にメジャー昇格、1000日ぶりの復帰登板を果たしたが、結果を残せず、4月20日に戦力外通告されていた。

 メジャー通算成績は123勝109敗。ノーヒット・ノーランを2度記録した


<野球>野茂英雄が現役引退 HPで表明 日米で201勝
2008年7月17日(木)23時0分配信 毎日新聞

現役引退することが明らかになった野茂英雄投手

 日本人選手の米大リーグ移籍に道筋をつけ、日米通算201勝を挙げた元大リーガーの野茂英雄投手(39)が17日、現役引退することを明らかにした。同日、自身の公式ホームページで表明した。

 野茂投手は今季、ロイヤルズとマイナー契約を結び、開幕直後に3年ぶりとなる米大リーグ昇格を果たした。しかし、中継ぎで3試合に登板しただけで、4月20日に戦力外通告を受けた。現役続行の道を探ったが、獲得に乗り出す球団はなく、引退を決意したとみられる。

 野茂投手は大阪・成城工高から社会人・新日鉄堺に入社。88年の第59回都市対抗野球で若獅子賞(新人賞)を獲得したほか、88年ソウル五輪では、日本代表として銀メダル獲得に貢献した。90年ドラフト1位で近鉄入団。体を大きくひねる「トルネード投法」で話題を集め、新人王や、入団から4年連続で最多勝・最多奪三振のタイトルを獲得した。

 94年オフに近鉄を任意引退の形で退団し、ドジャースに入団。村上雅則氏(ジャイアンツ)に次ぐ日本人2人目の大リーガーとなり、95年シーズンに13勝6敗で新人王を獲得。「ノモマニア」と呼ばれる熱狂的なファンも現れた。96年には日本人投手として初めて、大リーグで無安打無得点試合(ノーヒット・ノーラン)を達成。01年に2度目を達成し、ナショナル、アメリカンの両リーグで記録した史上4人目の選手ともなった。日本プロ野球での通算成績は78勝46敗1セーブ、米大リーグでは123勝109敗だった。【村田隆和】

タグ:野茂英雄
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偉大な先駆者、現役に幕=ユニホーム脱ぐ野茂−野球

偉大な先駆者、現役に幕=ユニホーム脱ぐ野茂−野球 2008年7月17日(木)20時9分配信 時事通信

 日本と米国球界で通算201勝を挙げた野茂英雄投手(39)が現役引退を決意した。

3年ぶりのメジャー復帰を果たした今季、4月にロイヤルズを戦力外となり、再復帰は果たせなかった。今年は3試合に投げて防御率18.69。かつて150キロ台を誇っていた球速は130キロ台まで落ち、力の衰えは明らかだった。
 
 野茂は17日昼ごろ、自身が設立した社会人チーム「NOMOベースボールクラブ」の清水信英監督に米国から電話を入れ、「引退することになりました」と伝えた。
 
 近鉄で大活躍した後、1995年にドジャース入り。その年のオールスター戦でナ・リーグの先発投手を務めるなど力を発揮し、史上4人目となったア、ナ両リーグでのノーヒットノーランも達成した。こうした野茂の活躍が、その後に続いた佐々木(元マリナーズ)、イチロー(マリナーズ)、松井秀(ヤンキース)らに道を開いた。偉大な先駆者が、静かにユニホームを脱ぐ。

野茂 英雄(のも ひでお、1968年8月31日 - )は、元プロ野球選手(投手)。

大きく振りかぶってから背中を打者に向ける独特の投法から繰り出される、キレのあるストレートと2種類のフォークボールが特徴で、どの球もほぼ同じフォームで投げられることも武器である。なお、この投法は公募により「トルネード投法」と命名された。2008年7月17日、現役引退を発表。

小・中学校時代の野茂は全くの無名選手であった。この頃すでに「体を捻って投げると直球の威力が増す」と考え、トルネード投法であった。名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格(当時、セレクションを受けた野球部の監督は『そんな体を捻る投球フォームじゃ、絶対大成しない』と言って野茂に目をかけなかった)、甲子園とは縁の無い公立高校に進む。

高校2年生で達成した完全試合の投球内容は内野ゴロ13、内野フライ2、外野フライ2、三振10、104球。「打たせて取る」投球だった。
名門野球部に進んでいたら、フォーム矯正によりトルネード投法をやめさせられた可能性があるため、今の野茂はなかったと言われる

1989年のドラフト会議で、史上最多の8球団(阪神、ロッテ、ヤクルト、大洋、ダイエー、日本ハム、オリックス、近鉄)から1位指名を受け、抽選で近鉄が交渉権を獲得した。契約金は史上初の1億円台(1億2000万円)、年俸1000万円。契約時、投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。

ドラフト後、野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げた。仰木彬監督はあっさり了承し、調整方法も野茂に任せることにした。これにより野茂は仰木を信頼するようになった。反面、後任の鈴木啓示監督はフォームや調整法など様々なことに関して一方的に野茂に干渉するようになった。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求し、また野茂は立花コーチとのマンツーマンの指導形態で、遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し、野茂が「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと、「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と根性論を押し通した。一度、鈴木の要求する走りこみと、立花コーチの指導するメニューと、その運動量を科学的に比較する検証が行われたことがあったが、立花コーチのメニューのほうが多かった、という結果が出たということもある。そういったこともあって、結果として野茂は鈴木を毛嫌いするようになり、近鉄退団の大きな理由になった。

大食いでも有名。好物は寿司。新人時代、当時解説者だった佐々木恭介に連れられて高級すし屋に行き、一人で寿司100カンを食べて佐々木を仰天させたことがある。新人王を獲得した1990年、当時の仰木彬監督とすし屋に行った際には、トロとウニを際限なく注文したという話も残っている

野茂英雄 - Wikipedia
1995年、ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結ぶ。年俸は近鉄時代の1億4000万円からわずか980万円になった。5月2日にジャイアンツ戦で先発投手としてキャンドルスティック・パークのマウンドに立ち、村上雅則以来31年ぶり、2人目のメジャーリーガーとなった。日本人メジャーリーガーの先鞭をつけ、パイオニアとしての功績をたたえられている。オールスターでは、先発で出場した。13勝6敗、236奪三振の成績で新人王、奪三振王のタイトルを獲得する。日米両国で新人王を受賞したのは現在野茂ただ1人である。

1996年9月17日の対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成。1998年4月28日に、日本人メジャー1号本塁打を記録。しかし、シーズン途中でニューヨーク・メッツにトレードされた。1999年、開幕直前にメッツから解雇され、シカゴ・カブスとマイナー契約。さらに、カブスからミルウォーキー・ブルワーズにトレード。2000年、ブルワーズからデトロイト・タイガースにトレード。日本人初の開幕投手になり勝利した。

タグ:野茂英雄
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